小さな箱の中、白い綿の上にそっと置かれたその貝のラベルに、「オキマイマイ」という名前、そし て Euhadra dixoni okicola (Pilsbry, 1927) という学名を私は初めて目にしました。
私は貝類学者ではありませんが、この学名にある「Pilsbry(ピルスブリー)」という名前にすぐ惹き つけられました。彼は隠岐に来て貝を採集したのでしょうか?「オキマイマイ」という和名を付けた のは彼なのでしょうか?次々と湧き上がる疑問の答えを、これから紐解いていこうと思います。
物語は1906年から1909年の間に始まります。当時、まだ若き貝類学者であった黒田徳米( 1886-1987)は、父とともに隠岐諸島を何度か訪れました。これは、当時の大家である平瀬與一 郎(1859-1925)の依頼による調査でした。彼は中村や西郷、さらには西ノ島や知夫里島を歩き 回りました。後年、彼は当時のフィールドワークの思い出をこう語っています。
「私が嘗て隠岐の國の中村と云ふ所で椎茸栽培の跡を訪ねたことがあるが、そこは 實に陸貝探集の好適地であった。森林でも餘り人の出入して樹下を踏み荒した所は 絶望的である。陸貝の發育に最も大切なる條件は百千歳を經た大樹の存在と腐朽し た倒れ木の多いことである。」(1)
当時、平瀬與一郎は日本全国の島々に助手を派遣し、大規模な陸貝の収集を行っていました。 この精力的な調査によって多くの種が分類されることになりますが、それは世界中の専門家との 連携があってのことでした。フィラデルフィアのヘンリー・オーガスタス・ピルスブリー(1862-1957) も、同定(種を特定すること)のために標本を受け取っていた一人でした(2)。1908年には隠岐のカ タツムリに関する最初の論文が発表されましたが、そこにはまだ「オキマイマイ」の名は登場しま せん。
それから約20年後の1927年、ようやくピルスブリーによって Euhadra callizona okicola という学名が与えられました(3)。実は、彼は一度も日本に来たことがなく、ましてや隠岐を訪れたこともあり ません。彼はフィラデルフィアのドレクセル大学自然科学アカデミーにいながら、平瀬(と黒田)から送られてきた標本をもとに記載を行ったのです(4)。最初に名前を与えたのが彼であったため、そ の功績は彼のものとなり、学名にその名が刻まれることになりました。
しかし、現在の学名が確定し、私たちが知る名前へとつながるのは1939年のことです。もう一人 の偉大な貝類学者、吉良哲明(1888-1965)が、自ら隠岐を訪れた後のことでした。彼はこのカタ ツムリの分類を再検討し、現在認められている Euhadra dixoni okicola という学名を定着させま した。さらに重要なのは、彼が日本のカタツムリの「和名」に関する命名規則を提案したことです。 その原則に基づき、彼はこの種に「オキマイマイ」という日本語の名前を授けました(5)。
興味深いのは、この「マイマイ」という言葉が地元の言葉(方言)ではないという点です。「マイマ イ」は島根県本土側では使われる表現ですが、隠岐では伝統的に「でんでんむし」や、せいぜい 「かたつもり」か「かたつむり」と呼ばれていました(6)。あえて地元の呼び名を使わなかったのは偶 然ではなく、吉良が定めた命名ルールに従った結果だったのです。
こうして誕生した「オキマイマイ」という名前は、次第に地元の言葉として定着していきました。そ れは、どこにもいない唯一無二の存在として認められた証であり、隠岐が本土とは異なる独自の 自然環境を持っていることを象徴するものだったからではないでしょうか。たとえその言葉のルー ツが自分たちの日常の外にあったとしても、住民たちはそこに単なる正確な名称以上のもの―― 自分たちの島の独自性や、ある種の「誇り」――を感じ、受け入れていったのかもしれません。
地域おこし協力隊 ドロトコヴスキ・シャール
参考文献
(1)黒田 徳米,『陸産貝類の採集 (1)』, IN : ヴヰナス, 1930, 2 巻, 2 号, p. 61-71, 公開日 2018/01/31, Online ISSN 2432-9975, https://doi.org/10.18941/venusomsj.2.2_61
(参照 2025-12-03)
(2)Pilsbry, H. A., Hirase, Y., “Land shells of the Oki islands, Japan.”, IN : The Nautilus : a quarterly devoted to malacology and the interests of conchologists, vol. 22, no 4-5, august-september, 1908, pp. 41-45.
https://www.biodiversitylibrary.org/item/17821 (参照 2024-01-15).
Kuroda, Tokubei, “Yoichiro Hirase, the Great Collector of Japanese Land Mollusks, and the Collectors Who Helped Him.”, IN : Proceedings of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia, vol. 153, 2003, pp. 7–14. http://www.jstor.org/stable/4065095 (参照 2024-01-15).
(3)ちなみに、日本人の研究者も自ら学名を命名してきたという点も興味深いところです。その先駆けとなったのは 伊藤篤太郎(1865-1941)でした。彼は1888年、江戸時代の高名な本草学者である小野蘭山(おの らんざん) に敬意を表し、トガクシソウに Ranzania japonica という学名を与えました。これが、日本人によって初めて付 けられた学名です。
(4)Henry A., “Pilsbry, Review of Japanese Land Mollusca: I”, IN : Proceedings of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia, Vol. 79 (1927), pp. 13-20. https://www.jstor.org/stable/4064014 (参照 2025-12-03)
(5)吉良 哲明,『隱岐島及び山陰地方の採集 : 附うそのなみまいまいの和名の問題』, IN : ヴヰナス, 1939, 9 巻, 3-4 号, pp. 170-175, 公開日 2018/01/31, Online ISSN 2432-9975. https://doi.org/10.18941/venusomsj.9.3-4_170 (参照 2025-12-03)
(6)広戸惇, 矢富熊一郎 編『島根県方言辞典』, 島根県方言学会, 1963, pp. 458, 151. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2504075 (参照 2025-12-03) 『日本言語地図』 第5集 言語地図 (第236図、第237図、第238図). https://mmsrv.ninjal.ac.jp/laj_map/
【この記事に関するお問い合わせ】
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